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中卒になった僕の理由。低学歴にありがちな家庭環境の悪さ





中卒ブロガーのりょうすけ(@ryosukeblog)です。

自己紹介で書いたように僕は最終学歴が中卒です。

全体の2%の人が最終学歴中卒の割合であり、全体でみれば圧倒的に少ないですよね。

そんな2%の中に入ってしまった僕たちにも高校にいかなかった理由がちゃんとあります!

ここから先は、僕の少し複雑な家庭環境の話をしていきます。

 

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複雑な家庭環境で育った幼少期

物心ついた頃から父親がいませんでした。

顔も名前も年齢も何も知りません。

小さい頃は自分に父親がいないことに疑問すら感じなかったので、そのことで悲しい思いをしたことはありません。

父親がいないのが当たり前だったので疑問に思う事もなかったです。

4歳くらいまでは母親とおばあちゃんと3人で築の古い県営住宅で暮らしており、当時母親は20歳だったので今思えばころころ彼氏が変わっていた気がします。

知らない男の人とよく会うことが増えてきたある日、僕と母親と男の人と3人で住むことになりおばあちゃんの家からすぐのアパートに引っ越したんです。初めて父親ができたような気持ちになり、あの頃は楽しくて幸せだったのを覚えています!

 

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家庭環境が一気に変わった小学生時代

数年後少し広い家に引っ越し僕は小学生になりました。

ここまでは普通に幸せな家庭だったと思います!

男の人はトラックの運転手をしていたので家にいないことが多く、母親と母親の友達と毎週のように居酒屋でお酒を飲んで騒いでいました。

僕はつまらなかったので、毎週ゲームボーイアドバンスでポケモンのサファイアをやりこんでいたんですが、なかなかゲームの展開が進まず、訳もわからずひたすらポケモンのレベル上げをしていたら、3個目のジムバッジに挑む頃には40レベ近くまでポケモンが育っていました(笑)

おかげでゲームクリアするまで圧勝でスムーズにクリアすることができたのを覚えています。

僕が小学2年生になったある日の夜、母親と男の人が喧嘩をしていて喧嘩の内容は、8歳の僕でも理解することができました。

どうやら2人で貯めていた貯金を、母親が無断でほとんど使ってしまったことで喧嘩になったようでした。

どう考えたって母親が悪いということは、小学2年生でもわかります。

その喧嘩が理由で別れることになり僕はおばあちゃんの家に再び住むことになり、そこに母親はいませんでした。

おばあちゃんとの2人での生活が2年間続きます。母親は半年に一回くらいのペースで夜遅くに会いに来るだけだったので9歳の頃の僕には少し寂しさを感じる環境でした。

連れ出された

11歳の時突然おばあちゃんの家に母親と母親のお姉ちゃんが乗り込んできて、2人して何か怒っていました。

おばあちゃんVS母親とその姉で、かなり激しめの喧嘩が始まり、僕は急いで荷作りさせられ、そのまま名古屋市外へ強制連行。

あまりにも突然の出来事すぎて、小学校の友達に別れすら告げられず学校を転校することになることになります。

そして次は、母親の姉とその子供たちとの共同生活が始まるんですが、そこにも母はいませんでした!

当時の僕は母親の話になると落ち込み涙が出てくる精神状態だったので、周りには嘘をついていとこのことを兄弟と言うことにして母親の姉のことは、お母さんと外でだけ呼ぶようにして完全にいとこファミリーの中に溶け込みました。

ただいとこと苗字が違ったので、同じ苗字でよんでもらうよう学校側にお願いをしていたのですが、たまに本名で普通によんでくる先生もいました。

健康診断の時とかは、書類関係の名前の変更はできないみたいで高確率で本名で呼ばれます。

周りの友達は、誰それ?って必ずなるので本当に嫌で、家族関係がバレることにかなり敏感になっていてストレスはかなりたまりました。

中学生時代

中学校に上がると同じ苗字への切り替えが書類上で完了したらしく、苗字でのストレスはなくなったのと同時に、母親とも一切会うことがなくなり、母親のことを考える時間もかなり減りました。

何年も離れ離れだと流石に慣れたんですが、母親の話題に敏感なのは変わらずその話題になると僕は必ずその場から離れました。

中学2年生の時突然、僕の国籍が韓国と言うことを聞かされます。

は?ってなりましたね。

14年間日本人だと思って生きてきたのに突然韓国国籍だと知らされてかなりイライラしました。

在日韓国人だったんです。

ネットで検索したら在日韓国人ってだけで毛嫌いする人がたくさんいると言うことを知り母親にかなりイライラしました。

と言うのも、母親が韓国人で父親が日本人だったからです。

父親の話を聞かされたことがないので結婚していたのかどうかも分かりませんが、もし結婚していたとしたら手続き一つで日本国籍になっていたからです。

僕がずっと気にしていた苗字も本当は通り名を変更しただけであって、本来の名字は変わっていなかったんです。

14歳で自分の本名を知るってやばいですよね(笑)

この頃には大切な書類手続きをせず、僕の育児放棄をした母親に怒りや憎しみの感情が生まれました。

中学3年生の時は、高校に行く気は一切ありませんでした。

「勉強しなさい」とは言われましたが、勉強する意味を教えてもらったことは一度もありません。

母親の姉自身、勉強する理由をわかっていないんだから、僕たちが勉強するわけがありません。

「何で勉強するの?」ってずっと思っていました。

ただ中学3年生の時、転校したことがきっかけで高校には言っておこうと言う考えになりました。

理由は仲の良くなった友達が勉強をしていたから。それだけです。

それからは学校の授業はしっかり聞くようになったんですが、家に帰ってからは相変わらず勉強することはなかったです(笑)

そして高校受験の日が近づいてきて僕は3校受けることにし、1校は私立、残り2校は公立の高校です。

私立高校の方が受験日が早いので結果が出るのも早く、結果は合格でした。

入学の書類が家に送られてきて母親の姉に見せると、「こんなにお金がかかるとは思わなかった。ここはやめて」と言われ、僕は反抗期だった事もあり、一気に高校に行く気がなくなりました。

受験する前に私立高も1校受けて良いかと確認はとったんですが、結局そこは行かせてもらえなかったです。

受験する前に、どのくらいの入学費がかかるのか調べると思うんですが、そんな簡単な事も出来ないくらいに狭い世界に閉じこもって生きてる人だったので、頼り切った僕がいけませんでした…

公立高校の受験は、当日にブッチし、もう高校進学はどうでもよかったですし、制服代も出してもらえないと感じたので高校に行くのはやめました。

おすすめ記事:低学歴に希望はない?若い世代の向上心がない理由を考えてみた

中学卒業後

振り回されるのに疲れたので1日でも早く家を出るため、中学卒業後すぐに働きました。

選んだ仕事は鳶職で、高校に行かなかった自分への試練だと思いきつい鳶職を選んで、働き出した初日はきつすぎて鳶を選んだ事を少し後悔しと事を今でも覚えています(笑)

働き出して半年ほどですぐに家を出て自立しました。

それから仕事に没頭して20歳になった時に、帰化する話が出てきました。

帰化と言うのは今までの国籍を捨てて他国の国籍を取得することを言います。

僕の場合は韓国の国籍を捨て日本の国籍を取得すると言うことです。

僕と母親の姉と母親と3人同時に帰化することになり、この時母親と10年ぶりに再会したんですが、僕の記憶の中の母親と比べてらだいぶ老けたな〜ってのが本音です。

多分母親も僕が大人になっていて驚いたと思います。

小学生以来会うこともなければ、連絡をとることも一切なかったので。

母親のせいで韓国国籍になったのに、それが理由で再会するなんてなんか憎かったです。

無事に帰化が終わり日本国籍になった後は、母親の姉の家に半年ほど住みました。この時21歳です。

母親と会う機会が少し増えてきて、それを母親の姉はよく思わずある日突然「今すぐ家を出て行って」と言われ、突然出てけと言われた僕はかなりの怒りが込み上げてきて、喧嘩をして以来は一切連絡もとっていません。

連絡先も変更したので、多分一生会うことはないと思います。

それから母親と1年間一緒に暮らしたんですが、考え方が全く合わず険悪な雰囲気の日々が続いていたので、今は母親の元を出て、連絡をほとんどとっていない状態です。

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十人十色の人生

これまで僕の今までの人生を簡単に書いてきましたが決して幸せだったとは思いません。

「誰かに頼り切る人生は振り回されることが増える」と言うことを、これまでに痛いほど感じてきました。

最終学歴が中卒なのには、一人一人いろんな理由があるはずです。

ですが高確率で、家庭環境が悪いことが理由の一つだと思います。

両親に捨てられた人もいれば暴力を受けながら育ってきた人もいて、働き始めた今のあなたなら、そんな環境から抜け出すことができるはずです。

距離をおけば親との関係が良くなることもあるかもしれません。

そして社会に出て勉強をする意味を少しは理解できたと思います。

別に勉強しなくても生きてはいけます。ただ勉強することで間違いなく視野が広がります。

今まで見ていた景色が全く違う風に見えたり、新しい価値観に触れるきっかけが増えたり間違いなくあなたの人生をより楽しく豊かなものにします。

勉強はしておいて損はないですよ。

僕はこれから先自分自身で道を切り開いていきます。誰かに敷かれたレールの上を進むことは多分ないです。

それがどれだけリスクのあることかわかっているから。

あなたが投げやりにならないで、力強く自分自身の道を突き進んでいけるよう心の底から願っています!

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